福祉への想いときっかけ☆総合福祉施設ノーサイド〜中西良介代表①〜

インタビュー

現在、大阪府を中心に展開されている総合福祉施設ノーサイド。
障がいのあるお子さんのお母さまより大きな支持を集められ、地域を支えておられます。
そのノーサイドの代表である中西良介さんのインタビュー第1弾です。

一人の中学生との出会い
インタビュアー:本日はお話を聞けることを楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願いいたします。

中西代表:よろしくお願いします。

インタビュアー:大阪での福祉、特に障がい児の介護・支援を考える時に、ノーサイドを抜きに考えることはできないと思います。今回はノーサイドのことと共に、代表である中西さん個人のこともお伺いしたいと思います。
まず、中西さんは昔から福祉をなさろうと思ってたわけじゃないとお聞きしました。
きっかけは何だったのでしょうか?

中西代表:まずヘルパーになったきっかけ、本当の意味でヘルパーになったきっかけと言ったほうがいいのですが、それは10年前に遡ります。
もともと僕は保育園の頃から、小学校、中学校と、周りに何かしらの障がいのある子がいる環境で育ったんです。祖父も精神的に不安定なところがあったりで、興味がないわけではありませんでした。
ただ、当時は今のような使命感があったわけでもないし、高校を出てからしばらくはフラフラしていました(笑)

インタビュアー:昔から問題意識を持っておられたわけじゃなかったんですね。

中西代表:そうなんです。実際にヘルパーの資格を取ったのは25歳の時です。それまで7年間、あまり大きな声で言えるような生き方はしてませんでした。お金に色はないって言うのが口癖のようになってて。
でも高校の時のラグビー仲間に会って、思い立ったんです。「こらあかんわ。真面目に働かな、太陽の下で働かなあかんわ」って。
それでニチイ学館のヘルパー講座ってあるじゃないですか?深い意味もなくとりあえず受けたんです。
インタビュアー:なるほど。ではきっかけというのはそのラグビー仲間との再会ということですか?

中西代表:いえ、違うんです。資格を取るのに実習が必要なのですが、その実習先でヘルパーの必要性に疑問を持ちました。そこは療養型施設で、10年経った今なら理解できるんですが、その時はこんな仕事は意味がないって思ったんです。時間が来たら食事介助して、オムツを換えて、お風呂も週二回バーっと洗われて。会話もなければ表情もないし、ずっと家族が面会に来ないことも当たり前で。
少しでも楽しくしてもらおうというものがなかったんですね。「こんな仕事意味ない。絶対やらんわ」ってこの時は強く思いました。

インタビュアー:その思いを覆したのは何だったのでしょうか?

中西代表:資格取ってからこれからどうしていこうかとしばらく考えていたんですけど、その時にラグビー仲間のつながりで、ある先生が暇なヘルパーを探していると聞いたんです。暇なヘルパー、まさに僕ですよね(笑)
それで、忘れもしない10年前の11月1日に平野区の支援学校の音楽会に手伝いに行ったんです。

インタビュアー:日付まではっきり覚えておられるんですね。

中西代表:この日がなければ今の僕はないですからね。そこで僕が担当したのが当時中学2年生だった男の子でした。彼はつかまり立ちくらいはできたけど、発声はあっても発語がない子でした。でもね、僕には彼が何を言いたいのかが何となくわかったんです。トイレやろな、お腹空いているんやろな、お母さん探しているんやろな、友達のところに行きたいんやろな、この音楽好きなんやろな、とかね。表情や仕草から大体伝わってきたんです。
その日初めて会ったのに、その子もすごい楽しそうにしてくれて、僕も楽しくて。 それをね、また先生や家族さんも評価してくれた、というか喜んでくれて。この子と一緒にいれてお金もらえるなんて、こんないい仕事ないですよね。まぁあんまり仕事と思ってないですけど(笑)

インタビュアー:その出会いが中西さんを変えたと言っても過言ではないわけですね。

中西代表:それはもうそうですね。音楽会のその日にそこに来ていた事業所に入社しました。次の日からアルバイトに行くことになって、ガイドヘルパーの資格も取りました。それから今まで10年間一度もヘルパーをやめたいと思ったことはありませんね。
その子とは中学校も高校も卒業式に行きましたし、卒業旅行も成人式も行きました。今もノーサイドに来てくれています。
会社を起こすために
インタビュアー:そこからすぐに起業されたわけではないですよね?

中西代表:はい。当時本当に難しい事例が多かったんです。今でこそ医療的ケアという言葉も市民権を得つつありますけど、医ケアなんて言葉、あまり聞くことがなかった時代ですから。
最初、ほんとにいろいろありました。お母さんにまったく相手してもらえなかったり、家にもあげてもらえず門前払いだったり。家の掃除から始めたり、子どもを全然触らしてくれないことも、コーヒーかけられたこともありますよ(笑)
でも、子どもだけじゃなくてお母さんとコミュニケーションを取ることで、一つ一つクリアしていきました。
お母さんの気持ちを察することができたのは、フラフラしていた7年間の経験が活かされた部分もありますね。それに僕は結構はっきり物言えるほうなので。本当はしんどいでしょ?とか、言って欲しくないお母さんも多いじゃないですか。言ったら最初怒られましたけどね、「あんたに何がわかるの?」みたいな。

インタビュアー:朝から晩まで働いていたとお聞きしました。

中西代表:少しずつお母さんも信頼してくれるようになって、子どもをみるヘルパーが少なかったのもあって、1日15時間くらい当たり前のように働いてました。その頃には「お世話に行く」のではなくて「お手伝いに行く」という意識に変わってましたね。
でもひと月やっても20人ぐらいの子しか関われないんですよ。僕みたいな人がもっといれば、お手伝いできる子どもも増やすことができる。それなら、もう会社を作るしかない。そう思ったのが28歳の時ですね。

インタビュアー:そうして立ち上げられたわけですね?

中西代表:いえ、まだです(笑)その時に思ったのは、いま会社起こしても絶対いいのができないだろうなと。ヘルパーとしては一流になったという自負はありましたけど、残念ながら社会人としては0点でしたからね。
福祉って続けることが何より重要ですから、会社起こしました、はい潰れましたってものすごい罪深いじゃないですか。じゃあどうしよう、どうしたら安定した会社を作れるかって考えて議員の秘書になったんです。

インタビュアー:議員の秘書?それはまた・・・

中西代表:突拍子もないでしょ?(笑)でもそれ以前から先輩に選挙手伝ってくれないかとは言われていたんです。人と話すのは得意でしたし、お願いしますって頭下げるのも平気でしたし。ヘルパーの仕事が楽しくて、ずっと断っていたんですね。
世間のことを知らない自分が会社起こすためには、勉強しないといけない。そこでお願いしたんです。次の選挙までの4年間の任期しっかり付かせてもらうので、その間いろいろなことを教えて欲しい、と。
出来上がった以上みんなのもの
インタビュアー:そんな準備期間があったなんて初めて知りました。

中西代表:秘書をやりながらもガイドヘルパーは細々と続けてはいたんです。子どもと関わるのは楽しいですし。
それで、ようやくノーサイドを立ち上げることができました。今から4年半前です。

インタビュアー:4年半でノーサイドの施設は大阪を中心に多くの方が利用されるようになりました。大事にされてきたことは何でしょうか?

中西代表:そうですね。立ち上げる前に想像してたのとほぼ同じように進んでこれたと思います。
その中で一番大事にしてきたのはやっぱり現場ですね。お母さんたちや子どもたちのことを考えて・・というのがノーサイドの始まりだから。僕の発想で生まれたわけじゃないんですよ。みんなが必要としてくれて、そういった想いが形になったのがノーサイドです。
だから、出来上がった以上、利用してくれる人がいる以上、ノーサイドは僕のものではなくなっているんです。もちろんお金を出したのは僕であるし、すべての責任は僕にあるんですけど、でも僕のものじゃない。利用者さんのものであり、家族さんのものであり、職員のものであり、地域のものになっています。

インタビュアー:なるほど。聞けば聞くほど興味深いお話です。これからも是非みんなのノーサイドであり続けて欲しいです。
本日はどうもありがとうございました。

【次回は『子どもたちとお母さんとヘルパーと』と題してさらに詳しく熱い思いをお届けします。】

事業所情報

事業所名 総合福祉施設ノーサイド
住所 〒577-0843 大阪府東大阪市荒川2丁目8-26
電話番号 06-6736-151506-6736-1515
FAX 06-6736-1516
サービス地域 ノーサイド関連施設
総合福祉施設ノーサイド(総合障がい福祉施設)
ノーサイド新石切(放課後等デイサービス)
ノーサイド柏原(放課後等デイサービス)
ノーサイド西堤(放課後等デイサービス)
ノーサイド若江(住宅型有料老人ホーム)

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